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story マルナカストーリー

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150年、飯能で紡いできた革新と挑戦の物語

時代が変わっても、変わらない想い。

一本の糸から始まった挑戦が、
今もなお、静かに続いています。

創業

創業

18681920
明治という
新しい時代とともに

明治という新しい時代が始まり、
人々が未来に向かって動き出していた頃、
飯能は高麗の渡来技術を起源とする養蚕・織物の地として栄えていた。

中里家の暮らしは、
かつて飯能市大河原にあった。
当時の家業は、絹糸や織機を農家に預け、農閑期に織り上げられた布を
所沢織物市場を通して東京へ卸すという、地域と共に成り立つ協働の仕組みだった。

やがて時代が工業化へと向かう中で、
弥三郎は織物づくりを専業としていく道を選ぶ。
1868年(明治元年)、飯能市宮本町に工場を構え、織機を据えた。
ここから「中里織物工場」としての歩みが始まる。

1880年代には動力式織機を導入し、
時代の変化に対応しながら歩みを進めていった。

1900年頃には、絹から綿へ需要が移りゆく中、
2代目弥三郎(初代弥三郎を襲名)が綿織物へ事業を転換。
柔軟な判断が家業の基盤を強固にしていった。

大正時代半ばには所沢地方の伝統織物「湖月縮」の開発にも関わり、
地域の技術とともに歩みを進めていく。

拡大

拡大

19201965
激動の時代を生き抜く

大正から昭和前期にかけて、
関東大震災や戦時統制など、社会は落ち着かない時代が続いた。

その頃、三代目となる進(すすむ)は、
技術屋として機械装置の改良と技術の向上に日々向き合っていた。静かな探究心は、家業の技術を支える見えない土台となっていく。

1939年(昭和14年)、3代目となる 進(すすむ)が結婚し、
家業には新しい視点と手が加わる。

妻の 渼(なみ) は、入間郡吾妻村北秋津(現在の所沢)の商家に育ち、多くの兄弟や周囲の大人たちに囲まれて過ごした。
その中で、人との距離感や気配を自然と読み取る感覚が育まれていった。
場の空気だけでなく、人の動きや気配をよく見る人物だった。

1945年(昭和20年)、太平洋戦争が終戦となり、進が戦地より復員。
この頃、事業の拠点を飯能市川寺(現在地)に移転する。

戦後の混乱の中で、進・渼の夫婦が中心となり、事業の再出発に向けた基盤を整えていく。

1950年(昭和25年)「丸中織布工場」を設立。

この頃から、織物の需要が急に高まる。
周囲が大きく動く中でも、家業は目の前の仕事を丁寧に積み重ね、
設備や体制を少しずつ整えていった。
この時期の積み重ねが、後の基盤を静かに形づくっていく。

やがて高度経済成長の波が訪れ、
1960年代には、次の時代に向けた技術の選択が求められるようになっていく。

革新

革新

19652000
生き残りをかけた大転換

1965年(昭和40年)、4代目となる昌平(しょうへい)は、
スイス・バーゼルで開かれた国際繊維機械展示会-ITMA を視察した。

当時の日本では国産機が主流だった中、
ドルニエ社のレピア織機の精緻さに触れ、導入を決意。
“未来への判断”として、後のマルナカの独自性の源泉となる。

翌1966年には、ツェルベイガーウースター社(Zellweger Uster)製の
ドローイングインマシンを導入し、技術力は大きく前進した。

1971年(昭和46年)、日米繊維交渉が本格化し、関税や輸出規制をめぐる摩擦が高まる。
「糸を売って縄を買う」と揶揄されるほど、日本の繊維産業は厳しい環境に置かれ、ここから斜陽化が進み始める。

逆風の中で、技術革新を重ね、顧客に必要とされるものづくりの形を模索していく。

その後、長く家業を支えてきた進が1977年(昭和52年)に逝去。昌平が専務取締役となり、渼とともに家業を支える。

1982(昭和57)、ドイツ・ドルニエ社製レピア織機1号機を設置。
ここから、マルナカの技術的独自性が本格的に確立していく。

1980〜1990年(昭和55年〜平成初期)
ドルニエ織機の導入と並行して、昌平が自らプログラミングを学び、
織物設計のデータ化や事務処理の電算化を進める。
コンピュータがまだ普及途上にあった時代に、デジタル化を取り入れた先進的な取り組みは、マルナカの技術志向を象徴する大きな転換点となる。

1989(平成元)、商号を「株式会社マルナカ」へ改める。
翌年にはレピア織機24台が集団稼働し、
複雑な柄・高い再現性・安定した品質を実現する体制が整う。

1996年(平成8年)、5代目明宏が入社。

1999年(平成11年)ストーブリ社(Staubli)製のジャガード装置を搭載した
ドルニエレピア織機が稼働開始。

2000年(平成12年)、昌平が4代目に就任。

挑戦

挑戦

2000現在
世界品質を飯能から

2000年代に入り、ジャカード搭載レピア織機が稼働開始。
表現の幅が大きく広がり、技術と創造性が結びつく時代が始まる。

2004年頃から、コレクションデザイナーとの取り組みが伸長。
技術と対話を軸にしたものづくりが深まり、新たな価値が形になっていく。

2008年(平成20年)には海外展示会へ出展し、世界との接点が広がる。

2010年以降、パリコレをはじめとするブランドとの協働が本格化。
ここでマルナカは、“創造の伴奏者”としての役割を確立していく。

2021年(令和3年)、長く家業を見つめてきた 渼(なみ)が逝去。

2022年(令和4年)、明宏が5代目に就任。

多品種対応化が進み、顧客ブランドの創作活動を支える体制が整い、現在へと続く。

To the Future

150年のその先へ

私たちは、これからも誠実さと技術を軸に、
パートナーの創造を支える存在であり続けます。

時代が変わっても、必要とされる価値を静かに磨き、
期待を超える品質と対話を積み重ねていく。

未来へ向けて、私たちは進化を止めません。

ともに歩む皆さまの創造を、これからも支えていきます。

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